T氏は「そんなことも知らないのか」と呆れながらまた本を取り出して読みあげる。
「――時代は遡ること紀元前二十世紀ごろ。場所は、日本から遠く離れた古代ギリシアの土地から始まります」
「当時の人々は、神話を信じて生きていました。」
「神話というのは語る理由を言いたくない場合、あるいは原因が思うように説明できない自然災害や心理的なもの、珍しい病気などについて語ろうとする場合において、人の判断に一定の決着をつけさせるための『説得術』として生まれてくることになりました」
「物語を研究する学問のことを『物語論(ナラトロジー)』というのですが、物語論の古典と言えば、古代ギリシア哲学者アリストテレス著の『詩学』が挙げられます。 『詩学』において語られる『カタルシス(浄化)』という言葉があるのですが、これは『悲劇を見ることによって、心に溜まっている穢れや鬱積を取り払い浄化すること』を意味する言葉とされています」
「あるいは言葉通りの『精神浄化(ナラティヴ・セラピー)』を試みるものであったというわけです」
「悲劇を中心に発展した演劇は、もともとは宗教的な祭祀から始まったものだったとされています。民衆にとっては、言語に依らない影響力を持つ神事・儀式的な存在の一種でもあったというわけですね」
「物語の正体が、わかってきたのではないでしょうか。ある時は、神話という形をとって人々をまとめるための説得術として政治的な役割を担い、そして、またある時には演劇という形をとって人々が持つ悩みや苦しみを払い去るための説得術として、またある時は非言語的なコミュニケーションの一種として、物語は世界に生まれて来ることとなったのです」
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